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大阪高等裁判所 昭和37年(ナ)2号 判決 1963年10月10日

判   決

茨木市大字穂積三五の一

原告

和久順

(ほか三五名)

右三六名訴訟代理人弁護士

堀川嘉夫

白井誠

福岡福一

官武太

上原洋允

大阪市東区大手前之町

被告

大阪府選挙管理委員会

右代表者委員長

戸田常蔵

右訴訟代理人弁護士

坂東宏

萩原博司

右当事者間の市議会議員選挙無効裁決請求事件につき、当裁判所は昭和三八年七月九日に終結した口頭弁論に基き、次の通り判決する。

主文

被告が、昭和三七年三月四日に執行された茨木市議会議員一般選挙における選挙の効力に関して訴願人辻垣内吉男より申立てた訴願につき、同年九月二四日に為した茨木市選挙管理委員会の同年五月二三日付異議棄却決定を取消し、右選挙を無効とする旨の裁決は、これを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求原因として次の通り述べた。

一、原告等は昭和三七年三月四日に執行された茨木市議会議員一般選挙に際し、いずれも立候補して当選し、現に茨木市議会議員の地位にある者である。

二、訴外辻垣内吉男は右選挙に立候補したが、次点で落選した者である。

三、辻垣内は茨木市選挙管理委員会(以下単に市選管と略称する)に対し、昭和三七年三月一九日右選挙の効力及び当選の効力に関してそれぞれ異議申立を為し、市選管は同年五月二三日右異議をいずれも却下したので、辻垣内は同年六月一一日被告大阪府選挙管理委員会に対し、右各異議棄却決定に対する訴願をしたところ、被告は、右のうち選挙の効力に関する異議棄却決定に対する訴願につき、同年九月二四日付を以て、前記市選管の同年五月二三日付異議棄却決定を取消し、本件選挙を無効とする旨の裁決を為し、同月二五日これを告示した。

四、その後辻垣内は昭和三八年四月二日(本訴繋属中)死亡した。

五、被告の為した前記裁決の理由の要旨は次の通りである。

(イ)  本件選挙において、市選管は公職選挙法第一七三条及び第一七四条の規定による候補者の氏名及び党派別の掲示をするにあたり、あらかじめ、全候補者についての掲示用紙を作成し、これを一投票区につき二ケ所づつ計七四ケ所に、昭和三七年三月一日午後一時から掲示を開始したところ、選挙期日の前日たる同年三月三日午前九時三〇分過頃、訴願人の選挙事務所から、「自由民主党」と記載されるべき訴願人の所属党派が、「無所属」と誤記されている旨の指摘を受けたので、これを訂正するため、同日正午頃までに「自由民主党」と印刷した小紙片を誤記の部分にはりつけたが、さらに引続いて、掲示用紙を刷り直して掲示したものである。

(ロ)  以上の事実が認定されるのであるが、この中には公職選挙法第二〇五条にいわゆる選挙の規定たる同法第一七三条の規定に違反する次のような二つの事実が存在する。即ち、その一は、約四七時間にわたつて、候補者の一名の党派名を誤記したまま掲示しておいたという事実である。その二は、法定の掲示箇所数をこえた掲示箇所において、誤つた掲示をしたという事実である。かように選挙の規定に違反する事実の存在が明らかに認められる以上、これによつて、同法第二〇五条の規定により本件選挙が無効とされるべきかどうかの問題点、換言すれば本件審理の要点は、前記規定違反が選挙の結果に異動を及ぼす虞があるかどうかに係つている。

(ハ)  本件の場合を考察すれば、およそ法律が選挙管理委員会という公的な機関をして、公衆の見易い場所に候補者の氏名及び党派別の掲示をさせ、選挙人が候補者の選択をするための判断資料を掲供させている以上、その候補者の氏名及び党派別の掲示について誤りがあれば、結局選挙人の判断を誤らせる結果となるのであるから、選挙の結果に影響を及ぼす可能性はあるといわざるを得ない。

(ニ)  以下本件選挙における具体的事実について考察して見る。地方自治体の選挙においても、候補者の所属党派を重視する選挙人の存在を否定することはできず、殊に候補者の選択において、他の諸点に関する比較において結論を得ることができない場合には、その所属党派の如何が、殆んど決定的な影響を持つものであることを看過することはできない。

選挙人の中には、如何なる選挙においても特定政党所属の候補者に限つて支持するという者のあることからしても、訴願人の所属党派が正しく「自由民主党」と掲示されてたならば、同党支持者のうち、訴願人に投ぜられていたであろう票が、本件誤記のため他の同党所属の候補者に投ぜられたかも知れないという可能性をぬぐい去ることができない。また本件誤記について、訴願人側によつて発見されるまでの間、多くの選挙人がこれを見たであろうにもかかわらず、その誤記に関し通報ないし照合する者がなかつたことからしても、候補者の氏名及び党派別の掲示は、選挙人がすべての候補者を比較選択するための判断資料として極めて信頼度の高いことを示しているものである。しかして本件誤記は、そのまま選挙人の信ずるところとなり、根強い錯誤を起こさせたのみならず、候補者の選択においても、本件誤記の影響を受けた選挙人が皆無であるとは何人も肯定しがたいところであるから、本件誤記の影響は大なるものがあるといわなければならない。

(ホ)  以上の事情を綜合し、かつ、本件選挙における投票総数三七、八二〇票のうち、最下位当選人船寺五男の得票は五六三票、次点者たる訴願人の得票は五六〇票で、その差は三票に過ぎないことを考えあわせるに、もしも訴願人の所属党派の誤記という規定違反がなかつたとすれば、上記総数のうち三票を超える票が、さらに訴願人に投ぜられたであろう可能性があるばかりでなく、他のすべての候補者の得票にも影響を及ぼし、現実に生じた結果、当落と異つた結果を生じたかも知れないという可能性のあることも、これを否定することはできないのである。かかる可能性のある限り、本件規定違反は同法第二〇五条にいわゆる「選挙の結果に異動を及ぼす虞がある」ものと判断せざるを得ない(最高裁昭和二九年九月二四日判決)

六、しかしながら、右被告の裁決は左の諸点について判断を誤つており違法であるから、取消さるべきものである。即ち、原告等は右裁決理由中の事実認定通りの事実が存したこと(前掲五項(イ)の事実)は争わないが、

(イ)  本件掲示中の誤記部分は選挙期日の前日たる昭和三七年三月三日の午前一一時頃までに訂正、補正されたものであるから、これによつて掲示中の瑕疵は治癒せられ、氏名掲示は適法であつたものというべきである。被告は右の訂正、補正の事実を認めておりながらも、補正の効力についての合理的判断を誤り、補正の効力を否定している。誤記掲示の継続時間は、延時間にすれば被告の指摘するように約四七時間になるけれども、本件の氏名掲示場所にはいずれも照明設備がなく、夜間には全く選挙人の目に触れ得ないのであるから、実質的な掲示時間は僅かに一五、六時間に過ぎない。しかも、別に述べる通り、氏名掲示なるものは候補者の選択決定に役立つものでなく、ただ選挙人が他の資料に基いて候補者を選択決定した後において、投票の際念のため党派別を確めようとする者がある場合にその役割を果すもので(それすらも投票記載所における氏名掲示制度が制定された後は、その意義の大半を失つているものであるが)、一番肝要なことは投票当日における掲示が正確に行われているということであるところ、本件においては氏名掲示の開始前からあらゆる選挙運動が充分に行われ、選挙人は候補者選定の資料を充分に有しており、投票記載所内の氏名掲示も適法であつた状況に加えて、本件の投票当日の掲示は完全無欠であつたのであるから(不在投票者については別論として)、誤記による選挙の自由と公正は些かも害されておらず、瑕疵は完全に治癒されている。又不在投票者は、殆んど候補者の掲示の有無如何に拘らず、縁故その他の関係から、特定の候補者に投票するのであるから、掲示の影響は殆んど絶無である。被告の裁決は右補正の効力の法的判断を誤つた違法がある(名古屋高裁金沢支部昭和三五年一月二二日判決参照)

(ロ)  仮りに右掲示の補正の効力を認めなかつたことが違法でないとしても、本件党派の誤記は公職選挙法一七三条違反にはなつても、同法第二〇五条にいわゆる選挙の結果に異動を及ぼす虞れのある場合(選挙無効原因)に該当しないにも拘らず、これに該当するものとしたのは、判断を誤つた違法がある。即ち、右判断は、氏名掲示制度の本質の解釈を誤り、かつその現実の効用を無視した誤りがある。

先ず、氏名掲示制度の法的価値について見るに、右制度の意義と目的は、選挙人に候補者の氏名と党派を周知せしめることであり、また選挙人に候補者の選択資料として役立たせるためのものであることは、考えられる事柄であるが、右の意義と目的は、現実の選挙においてこれが根本的に否定されているという実態から実証的に帰納されねばならない。この制度、即ち「氏名及び党派別の投票所外掲示制度」は、昭和二〇年制定以来選挙委員会が法規に従い各種の選挙に実施して来たものであるが、それは単に、候補者の氏名と党派を形式的、画一的に並記してあるだけの無味乾燥なもので、右の方法自体から見ても、選挙に対する候補者選定資料として役立つ目的は考えられない。仮りにその目的で行われていると考えても、現実には、それは制定後現在まで行われて来た各選挙において、具体的に法の目的通りの効果を全然挙げていないことが明らかになつている。それは、各選挙において公的機関による実態調査が示している動かし難い事実である。このことは、この氏名掲示制度が選挙における選挙人に必然的に結合するとか、選挙人を拘束するとか、法的効果を与えるという性質のものでなく、単なる便宜のためのもの、即ち公的サービスとして利用される性質のものに過ぎないことを示している。しかも制定後十数年の経験よりして、選挙人がこの掲示を全く問題にせず、従つて候補者選択の資料にしていず、資料になつていないということが実証されているから、この制度の存在により、選挙人に対して何等かの影響を与えようとする法的目的が自ら否定され、これを定めた法律の存在価値が無いに等しいということができる。それならばこそと別に述べるとおり、この制度は参議院全国区の選挙の場合を除き、廃止されるに至つたのである。

被告が挙げる最高裁判所の判例(昭和二九年九月二四日判決)においても、上告人であつた中央選挙管理会委員長は、右訴訟の論点となつた氏名掲示制度の解釈として、それが全く無用の長物であり、法的に無価値であることを強調していることは注目に値する。その主張によつても、「氏名等の掲示は、選挙人に候補者の氏名と党派別とを周知せしめるためのものであるが、一般選挙人は後に述べるように、いながらにして知り得る選挙公報等によつてこれを知るのが普通であつて、わざわざ掲示場まで出かけ、屋外に立ち止まり、氏名一覧表を見る必要があるであろうか。何等かの資料を必要とする者にとつては、氏名一覧表の如きは簡略に過ぎ、何等の用にも立たず、法第一七五条の二による投票記載所における氏名等の掲示の制度が新設せられて以来、本件で問題となつているような氏名一覧表を見る必要は一層なくなつた。その後一〇年を経過したが、その間に同種の事案はなく、判例もなく、昭和三五年頃に世論調査がなされ、氏名掲示は無益であつて、選挙人には無関係であることが明らかとなり、昭和三六年一二月二六日に選挙制度審議会の為した答申のうち氏名掲示制度の廃止の意見があり、政府はこれを採択し、昭和三七年三月一日に改正案を提出し、同年五月七日この案は国会を通過した(法律第一一二号)。この考え方が採用されるようになつたのは、単なる審議会の思いつきではなく、この投票所以外の氏名掲示の制度が、制定以来日時の経過とともに、現実の選挙において、その立法当時の法目的の期待を全く裏切る現象が現われ、法目的が失われていることが明らかとなり、この制度の存続が無用であるとする社会的潮流に抗することの不合理を卒直に認めたものである。それにも拘らず、現在において、なお法そのものの存在価値があると考えることは、全く現実より遊離した空論に外ならない。

本件選挙においても、氏名掲示は選挙人に対して影響を与える関係になかつたもので、その掲示方法は、一投票区において、投票所の近くの掲示場二ケ所に掲示し、一般選挙人のうち右掲示の内容を知ろうとする者は、必ずその近くまで行き、しかも暫く止まつてこれを見ることを必要とした程度のものであつた。従つて通行中の者にとつては、単に掲示の存在だけが分る程度で、氏名と党派を見て知ることは殆んど不可能であり、殊に交通量の多い場所の掲示は、立ち止り自体が不能であつた。そしてこの程度の掲示が本件選挙における全選挙区、約五万人の選挙について、僅かに七四ケ所存在したに過ぎない。この掲示についての法自体の目的はその目的に背馳する右のような実施方法によつて否定され、この方法による掲示は選挙人に候補者の氏名と党派を周知せしめることができず、選挙人としても、この掲示によつてこれを周知せしめられる必要はなかつたのである。そして、ある選挙において、法による掲示がなされていても、現実にその掲示が法の所期する目的を達成せず、選挙人がこれを見なかつたことを主張、立証して、掲示そのものの法的価値を争うことは許されるものである。

本件選挙においては、具体的にこの氏名掲示制度は、その有する意義と目的が否定せられていることが立証され、本件における選挙人(不在者投票の八三名を含んで)は全くこの氏名掲示を問題にせず、これを見たこともなく、これを見て候補者選択の資料とした者もなかつた。それは無用の長物で、法的にも無価値であつた。

(ハ)  茨木市の如き地方議会議員の選挙においては、国会議員の選挙の場合と異なり、候補者の所属党派は、選挙人及び候補者の双方とも殆んど重要視しない傾向が強く、或意味では殆んど問題にしない傾向ないし実情であつた。即ち、地方議会議員選挙については、選挙人は、あくまでも地域社会の代表者の選挙、身近い選挙、台所に直結している市民生活の選挙という考えの基盤に立つているのが実態であり、候補者の人物、識見、経歴、日常生活等に着眼して候補者選択の基準とし、候補者の所属党派については、保守、革新いずれであつても、その党派を以て選択ないし順位を定める基準としているものはなかつた。特に本件選挙については、選挙区が狭く、選挙運動が選挙人の台所まで行き届く関係であり、候補者と選挙人との接触面が密接で、殆んど各候補者の有形、無形的な選挙地盤、潜在的勢力範囲が固められており、各候補者の人物識見、職業、政党関係の有無等の経歴について、選挙人には十二分の資料が提供されており、選挙告示によつて始めて事新しく候補者の事情を知るが如きは稀であり、むしろ平素から、候補者の地域社会において、その日常生活、職業等を通じてその人物の社会的評価が知られていること等が、その特段の事情である。この特質は、候補者が政党政派には重点を置かず、いわゆる無所属を標榜する傾向が選挙に現れることによつても知られ得べく、本件選挙においても、立候補者四四名のうち三四名までが無所属で、圧倒的多数を占めていることに、よく現われている。このことは、この多数の候補者が、一般選挙人に対する関係において積極的に所属党派を表明することを避ける思想の表明であり、各候補者が、党派によらず、党派を離れて選挙を争つていること(或意味では候補者自身による党派否定)の表明に外ならない。他の実例として、昭和三八年四月三〇日施行の大阪府下十五市の市議会議員選挙の立候補者数とその党派別の状況は、立候補者の総数六四八名のうち無所属の者は四四九名であつて、これまた圧倒的多数であり、地方議員選挙においては、党派には重きを置かず、人物本位で選挙していることが、これによつても明らかである。また自由民主党の表示の意義についても、本件選挙において、同党所属の候補者までが多数無所属として立候補し、右昭和三八年四月の大阪府下一五市の選挙においても、一五市中一〇市までが同党派表明の候補者なく、他の五市における同党派表明候補者は、他の政党表明候補者より遙かに少く、このことは同党候補者として立候補するよりは無所属として立候補した方が選挙には有利であるとの価値判断に基いているもので、本件選挙においても同党の党籍を有する者が一〇名も無所属として当選しており、右の判断の当つていることを示している。右の傾向は特に保守党系候補者に多く見られ、昭和三八年四月四日付毎日新聞の記事における世論調査の結果によれば、市町村選挙では無所属として立候補した方が有利で、党に重きを置いて選ぶ選挙人が僅か居ることは居るが、そのような者は、大都市居住者か学歴の高い者に多く、政党支持別で見ると、自民党支持者よりも革新党支持者の方が党本位の割合が多く、組織の党としての性格を現しており、右記事によつても、党に重きを置く極めて僅かの人は殆んど革新党支持者であるといつても過言でなく、自民党を表明する立候補が有利であることを決して示していない。本件証拠調の結果によつても、本件選挙において選挙人は党派よりも人物をその候補者選定の基準にしていることが明らかとなつている。

(ニ)  被告が本件裁決を為すに当つては、前述した昭和二九年九月二四日の最高裁判所の判例を本件事案に当てはめ、党派誤記の価値判断をしたものであるが、これについては大きい誤差が存するものである。即ち、右最高裁判例は、党派誤記という命題のみは本件事案と同一類型に属するけれども、事案の事実関係においては、両事件は全く異質のもので、右判例は誤記に対する価値判断に関する限り本件事案には全く妥当しないものである。本件事案における党派誤記は、今日までに判例にもなく、同時に、今後においても絶対に起ることのない事件といつても過言でないほどの類例の事案に属するものであるから、被告としては、最高裁の判例に囚われることなく、本件事案の特異性に着眼して当該党派誤記の価値判断をすべきであつたにも拘らず、被告は、最高裁判例事案と本件事案との具体的事実関係の異質なる点を全然無視して、右最高裁判例を基本理念として裁決をしたもので、ここに本件裁決の違法性がある。

右の事案異質の点を具体的に挙げると次の通りである。(1)選挙の種類を異にしていること、即ち、本件事案は地方議会の議員の選挙であるに対して、判例事案は参議院全国区の議員の選挙であること。(2)党派についての選挙人の認識が異つていること、即ち、本件事案は地方議会の議員の選挙であつて一般的に選挙人は勿論候補者においても、政党政派には重点を置かず、無所属を標榜する傾向、即ち党派は重く用いられないという特質(実情)がよく現われているのに対し、判例事案は国会議員の選挙であるから、いうまでもなく政党政治の基本理念に立つての選挙であつて、党派を基礎としていることは当然である。(3)党派誤記の態様を異にしていること、即ち、本件事案は候補者辻垣内吉男の党派について、自由民主党を無所属と誤記したものであるに対し、判例事案は、候補者平林剛の党派について、日本社会党を日本共産党と誤記したものである。(4)誤記の掲示の訂正補正の有無が異つていること、即ち、本件事案では誤記の掲示は訂正せられていて、投票日の前日から投票日当日までは完全な掲示がなされているに対し、判例事案では、誤記の掲示は投票日当日まで十日間に亘つて、訂正せられないままであつた。(5)選挙公報における党派掲載を異にしていること、即ち、本件事案では、候補者辻垣内吉男は、自由民主党公認候補者であるにかかわらず、選挙公報には自由民主党と明記しないで、証券社長と明記していたので、選挙公報では同候補者はいわゆる無所属で立候補していることになつているに対し、判例事案では、候補者平林剛は、日本社会党公認候補者であつて、選挙公報にも明らかに日本社会党と記載してあつた。(6)党派誤記の価値判断が根本的に異つていること、即ち、判例事案では、国会議員選挙において日本社会党を日本共産党と誤記した掲示が投票当日まで十日間に亘り訂正せられることなく掲示せられていたのであるから、その価値判断については、当時共産党に対する国民の支持が著しく減退しつつあり、佐野市おける一般市民は同党を嫌忌し、同党の昭和二二年以降の衆議院選挙及び参議院議員選挙で獲得した得票数は、日本社会党のそれに比して、著しい差異があつたから、その誤記の価値も重大であると判断されたのに対して、本件事案は、地方議会の議員選挙において、自由民主党を無所属と誤記した掲示が後に訂正補正され、しかも選挙公報には自由民主党と明記せず、無所属となつており、候補者も選挙人も共に党派を重視しない傾向のある選挙において生じた事案であるから、その価値判断は判例事案のそれがそのままあてはめられる筈のものではない。(7)誤記の掲示の発見の態様を異にしていること、即ち、本件事案では誤記の掲示の発見は、候補者辻垣内吉男の選挙事務所からの連絡によつたもので、同候補者は茨木地区内で古くから証券社長「かぶや」としては相当知られていたが自由民主党公認候補者としてはそれ程有名でもなく、同人は党派によつて選挙人に知られていたものでなかつたから、たとえ誤記の掲示を見た選挙人があつたとしても、特に同候補者の党派のみを着眼し、誤記を通報又は照会しなかつたとしても、それが通常であり、当然と見られる事情に在つた。従つた誤記をそのまま選挙人が信じて錯誤を生ずるような大なる影響は考えられないし、誤記の掲示を見た選挙人がもし選挙公報と対照して見ても、それはむしろ掲示と一致していたものであるから、氏名掲示のみによる信頼、錯誤を生ずる余地は否定せられる。これに対し、判例事案では、選挙当日選挙人小林が投票後投票所入口に貼られた氏名一覧表中に候補者平林剛の所属党派が日本共産党とされていることに気付き、自宅に戻り選挙公報と対照して右一覧表の記載との相違を確かめた上、係員に届出たものであつて、当時右候補者平林が日本社会党の公認候補者として佐野市において有名であるに拘らず、氏名掲示が誤まられていたので、選挙公報を根拠としてその誤りが指摘せられねばならなかつたものである。

(ホ)  本件選挙において、候補者辻垣内吉男は、自ら選挙公報において党派を否定していると見られるから、党派の誤記は選挙の自由と公正を害しているものではない。即ち、辻垣内は本件選挙公報には自由民主党公認と明記することなく、証券社長と明記したことは、前述した通りで、このことは同候補者自身、自己の所属党派を全く問題にしていないことを示し、党派否定の思想に立つていたとも考えられる。

この考え方に基くときは、本件氏名掲示における無所属という誤記は、選挙公報に示されたいわゆる無所属に該当する趣旨の記載との関連においては、選挙人に対しては何等の影響をも与えていないし、同候補者についても、その選挙における自由と公正を害したことにはならない。選挙公報の利用は候補者の任意であるが、一旦候補者がその利用を決し、法規に従つて掲載文の掲載を申請し、市選挙管理委員会が公報として発行した以上は、右公報は法規に基く公営の選挙に属し、候補者の任意の選挙運動ではなく、法規による選挙の自由と公正を選挙人との関係で担保するものであるから、右公報の法的価値は重要である。そして候補者辻垣内は自由民主党公認候補者になつていたのであるから、同人が真にその資格において選挙に出る意思があれば、同党公認候補者たることを明記して選挙人に訴えるべきであつたことは常識上明白で、現に他の二名の同党候補者は、その公認候補者たることを公報に記載しているに拘らず、辻垣内は正反対の挙に出て公報には証券社長なる職業を記載したもので、同人はこれにより全選挙人に対して無所属で証券社長であることを強く訴え、その通りの影響を全選挙人に与えていたものである。従つて市選管の掲示中の党派誤記は、これと選挙公報の記載とを照合してもなお同候補者がいわゆる無所属の候補者となつていることが了解せられるのみであつて、掲示の誤記のみによつては、選挙人に対してこの誤記を信じ、錯誤に陥らしめることは有り得べからざることであり、同候補者を不公正にするという法的効果を生ずる余地がない。現に右誤記によつて錯誤に陥つた選挙人は一人も現われていない。そして辻垣内は自己の創意工夫による公報掲載文の掲載が自己の責任に属し、その選挙人に対する影響についても十二分の認識を有し、その法的価値判断をも為し得る選挙の経験者であるから、同人自ら選挙人に対して右公報掲載文に対応する責任があり、市選管の氏名掲示においてたまたま生じた党派誤記を以て不公正であるとし、選挙人に対して不当な影響を与えているとして、その選挙の効力を争うことは、右公報掲載行為における同人の態度と矛盾した行為であつて、衡平の原則より見るも、同人は本件選挙の効力を争う適格性を欠くものといわねばならぬ。

(ヘ)  氏名掲示制度は、本件選挙当時すでに廃止の思潮があり、本件裁決の当時はすでに廃止されていた。このことは、本件選挙の無効原因を消滅せしめるものである。即ち、この制度は昭和三七年三月一日政府において廃止法案(「公職選挙法の一部を改正する法律案」)を国会に提出していたもので、本件選挙において施行せられたこの制度は、単に形骸的存在に過ぎず、その実質的な法的効果は全く期待できず、その意味において法効果の点よりは無価値の制度であつた。この制度廃止の考え方と廃止を予定した政府の意思によつて無価値に等しいものとなつていた氏名掲示制度上の誤記をとらえて、本件選挙を無効とするほどの価値ある瑕疵と解釈したことは法の本質と公正な判断を誤つた甚しい違法である。

前記判例事案において、中央選挙管理委員長が、氏名掲示制度の法解釈について、それが法的に無価値であることを述べ、無用の長物たることを指摘したことは前述した通りであるが、この考え方は昭和三六年一二月二六日に為された政府設置の選挙制度審議会の答申においても反映し、投票所外の氏名掲示の廃止を提議し、これに代うるにポスター掲示場を公営で設置することに改められた。その提案理由中に、氏名掲示は公営である以上は各候補者の氏名党派を画一的に掲示する必要があるため非常に無味乾燥となり、候補者の氏名等を選挙人に周知させるための効果についてはさらに検討すべきものがある、とされ、右選挙制度改正案は昭和三七年五月七日国会を通過したことも前述の通りである。

そうすると、本件裁決の当時(昭和三七年九月二日)においては、すでに、氏名掲示制度は廃止になつていたのであるから、仮に再選挙をすべきものとしても、氏名掲示制度の行われる再選挙は施行不可能となつたもので、選挙の無効原因とされた瑕疵は、事後の法律廃止により、右の瑕疵を留めない再選挙の実質的な意義と結び付かなくなつた。この場合の再選挙の意義は、さきの選挙を無効にした事由即ち掲示の瑕疵が選挙人に与えたとされる影響の可能性の存在を実証する役割を持つべきものと考えられるが、再選挙において瑕疵なき氏名掲示を行つて選挙をした結果前選挙と比べることにより、さきの選挙における瑕疵の影響の可能性の有無が判明し、これを実証するということが法律上絶対不能となつたのであるから、このことにより、再選挙は法律上無意義であり、再選挙を行わせる原因たる選挙無効事由は、選挙無効事由としての法的価値を失つたものと考えられるのである。

(ト)  本件裁決の申立人たる訴願人辻垣内吉男がすでに死亡したことは、本件選挙の無効原因を消滅せしめるものである。それは一方において、裁決の理由の有無と当否とを判断することが法律上無意味に帰したため、裁決の取消原因となると共に、他方において辻垣内の再選挙における立候補の不能化により、再選挙の実質的意義を喪失せしめるから、裁決の取消原因となるものである。詳言すれば、本件選挙無効の申立は、元来辻垣内が主働的立場に立つて提起せられたものであり、同人の申立の実質的目的は、本件選挙における次点落選者となつた自己の地位を選挙の無効により抹殺し、再選挙により再び立候補、当選の機会を獲得するに在るもので、形式的には一般の選挙の効力を争う訴願手続ではあるが、実質的には同人の個人的利益の追及のみがその目的であつて、これを別にして、公職選挙法の目的とする選挙の公正を期する意図の如きは全く考えられない。しかも被告は本件裁決において、同人の個人的利益を念頭におき、右訴願を容れたもので、裁決理由が「辻垣内吉男唯一人についての党派誤記が選挙人に対して影響を与えた可能性がある」と断定していることは、党派誤記された辻垣内が不公正に取扱われたために、影響を受けて次点になつたのであるから、この選挙を無効とし、再選挙をして同人に再び立候補の機会を与えることを意味するに外ならない。即ち、形式的には選挙の公正を維持することを名目としているが、実質的には、辻垣内一人に着眼し、原告全員の有効当選者並びに三万七千有余の選挙人の有効投票を弊履の如く無視して顧みないものである。ところがその救済を与えんとした当該本人辻垣内が死亡したことは、右裁決の主目標が失われたことになり、法目的、法益の自壊作用が生じたことであつて、裁決の存在は単に形式のみであり、実質的には、無効原因の有無や違法性を検討するまでもなく無意味となり消滅したも同然である。本件裁決は手続上からも訴願の延長であるから、訴願人が死亡すれば裁決も失効し消滅したと考えられ、裁決の当否に関する一切の問題は清算されたということができる。死者についての裁決の当否を論じ、審理判断することは、訴訟上無意味なことは当然である。この結果は本件裁決の前述した特異性から生ずるものである。また右辻垣内が死亡により再選挙に立候補することが不能となつたことは、右立候補の道を拓くことを主目標として、本件選挙を無効とすることを無意味とするから、本件裁決が失当で取消を免れないことは多言を俟たぬところである。

以上述べた諸点について、本件裁決は違法たるを免れないから、右裁決の取消を求める。

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として次の通り述べた。

一、原告主張の一、二、三、四、五、項の事実は、本件裁決の告示が昭和三七年五月二五日であるとする点を除き(右は(同月二四日である)すべて認める。なお右裁決理由中の事実認定通りの事実が存したこと(右五項(イ)の事実)も争わない。

二、原告主張の本件裁決についての違法事由はすべて争う。即ち、

(イ)  公職選挙法による氏名掲示は、一定の期間内を通じて正しく掲示されることが必要なのであるから、一旦誤記の掲示が或期間為された以上、その後の期間訂正された掲示がなされても、同法第一七三条違反は治癒されるものではない。本件選挙において、氏名掲示は昭和三七年三月一日から行うべきものであるところ、正しい掲示は同年三月三日正午頃から行われたのであるから、右法条違反は自明の理である。投票当日さえ完全であればよいというのは、原告等の勝手な見解であつて、法文上左様な解釈は生じない。なお、本件における掲示は、特別の証明設備はないとしても、街路、人家の電燈等により夜間でもこれを見ることができ、また原告主張のように昼間のみを問題とするならば、誤記掲示期間は三月一日の午後全部、三月二日の午前午後昼間全部、三月三日の午前中全部であるに対し、訂正掲示期間は三月三日の午後及び投票当日(但し、午前七時より投票開始のため、当日の効果は限定的)のみであつて、誤記掲示期間がむしろ大半を占めている。

そして補正手続と瑕疵の治癒とは別個の問題であるから、補正があつても、瑕疵の影響が常に払拭されるものではない。特に選挙においては、その管理執行に関する法の規定はいずれも選挙の自由公正確保のため不可欠のものであるから、その些少の違反、過誤もすべて選挙の自由公正を害し、かつ選挙は多数人が関与し、時々刻々進行する手続であるから、一度害された自由公正は、これを消去することは不可能である。尚不在投票者については、訂正された掲示と見る機会はなかつたものと考えられる。

(ロ)  選挙における氏名掲示が全く役に立たないとか、候補者選定の資料として総ての選挙人から全く問題にされていない、ということは有り得ない事柄で、原告等の独断に過ぎない。

選挙人が候補者の氏名及び党派を知ること自体が、選挙に関する重要な資料を得ることである。氏名等の掲示は容易に選挙人の目に入るものであり、選挙人はこれにより容易に候補者の氏名及び党派を知り得ているものである。掲示を見る以上、それが資料にならない筈がない。しかもそれは相当多数の選挙人について認められる事柄である。選挙の実態調査についても、原告等の挙げるものは、氏名掲示を特に調査項目として掲げていないもので、これを掲げない理由も調査の事情から生じたもので、氏名掲示か無益であるとの理由によるものではない。

昭和三三年五月の総選挙における調査のように、氏名掲示についても調査した場合には、回答者の六七%がこれを見たことがあり、回答者の六八%が掲示の必要性を認めているのであつて、かような傾向がその後において、掲示を全く無意味無価値、無用と見る傾向に急変することは到底考えられない。判例事案において中央選挙管理委員会がいかなる主張をしたかは、本件訴訟とは何等の関係がなく、しかもその主張は最高裁判決において完全に否定せられているのである。それにも拘らず、行政機関たる被告が右中央選挙管理委員会の見解を固守することは法秩序維持の点からも許されない。

法一七三条の氏名掲示が、参議員全国選出議員選挙以外の選挙に関して廃止された理由は、その制度が無用の長物であるからではない。右制度の一部廃止は、公営ポスター掲示場の採用が主たる理由で、その他にも、市町村選管の事務負担の点とか、選挙無効の原因となる点とか、種々の理由からで、これは右の改正に関する解説によつても明らかである。氏名掲示制度が全く無用のものであれば、参議院全国区選挙についても存置される筈がない。

本件における掲示の法定数は一投票区一ケ所で計三七ケ所であるが、実際には一投票区二ケ所宛計七四ケ所になされた。そして掲示内容が適正であれば掲示数の超過は選挙の効力に影響がないと考えられるが、本件ではその掲示に誤記があつたために、瑕疵が倍加された結果となつたのである。

本件選挙において、氏名掲示を選挙人が見なかつたとか、見ても全くその影響を受けなかつたとかの特段の事由は全く存在しない。本件における掲示は、選管関係者の適切な配慮により四つ辻、集会所、バス停留所等人々の集るところ、部落の中心や人通りの多いところなど、いずれも選挙人の見易い場所に行われている。右の掲示により、候補者の氏名、党派を知り得ることは明々白々で何人も否定し得ず、立止らなくとも見え、また立止つて見る選挙人が皆無であるともいえず、掲示を見られないほど、交通の激しい掲示場所は存在しない。特に市議会議員の選挙は、直接市政に関し一番身近なことであるから、市民の関心は高く、多数の市民が掲示に注目したものと考えるのが常識である。

かくの如く、掲示は有力な公営の選挙運動方法であり、しかも街頭において容易に目につくものであるから、これが選挙人の判断資料の一つになつていることは否定し得ない。もし原告等の主張の通り、掲示が何の効果もないとしたら、掲示を施行せず、又はいかに誤つて施行しても、選挙の効力には全く影響がないといわねばならないが、このようなことは、選挙制度上到底許されるものでないことは、何人も容易に理解されるところである。

(ハ)  地方議員の選挙は国会議員の選挙に比して、候補者が選挙民の身近であるから、個人的関係が多分に考慮の内に入つて来るであろうことは容易に想像できるが、それだからといつて、すべての選挙民が政党を抜きにして選挙するということは言い切れない。民主主義政治機構において、党派の存在は本質的なものであり、党派が存在する以上は、党派活動の基盤は選挙により作られるので、党派が選挙において影響を有することはこれまた本質的なことで否定することができない。そして地方政治における政党の比重は、国の政治におけるそれに比して程度の差は認められるといつても、選挙人の党派に対する関心が、右の程度の差と同様であるということはできない。即ち、選挙人の個々の党派意識は千差万別である上に、選挙の種類、候補者の顔ぶれ、それとの関係その他によつて、個々の選挙毎に変るもので、選挙人全般につき一概に論ずることはできない。地方の選挙においても、強固な党派支持者、やや固定した支持者、浮動票など、党派への関心の度合は様々である。今日のわが国の政党分野において、保主系では自由民主党が唯一ともいうべき政党であり、各種の選挙を通じて自由民主党支持票は革新系党派の支持票よりも多いのであるから、各地方にも前述の強固な若しくは稍固定した自由民主党支持票が多数あることも否定し得ない。茨木市においても、自由民主党、社会党、民主社会党、共産党の各支部があり、本件選挙においてもそれぞれ所属候補者が立候補している以上、本件選挙において党派が何等の影響をも有しないとは到底認められないところである。法が市町村の議会議員の選挙についても、氏名のほか党派の掲示をも規定しているのは、右に述べたような選挙と政党との本質的な関係並びにその意義の重要性に由来するものである。

自由民主党所属の候補者が無所属として立候補したのは、候補者に党名を名乗る程の党員としての自覚がないとか、支持者との特殊な関係とか、その他候補者各自の個人的理由によるもので、茨木市においては無所属の方が党名を名乗るよりも一般的に有利であるからとは認められない。無所属で立候補しながら、当選後は本来の自由民主党員その他の党員として行動するのは選挙民を愚弄するものであるから、それが一般的に選挙に有利であるとは到底考えられない。まして本件では、辻垣内が自由民主党を名乗るために、その誤記を発見して通報して来たのであつて、若し無所属が有利ならばそういうことはしない筈である。また、本件選挙において無所属候補者が多いからといつて、党派の如何が全く無視さるべき理由もない。党派を名乗る少数者は却つて貴重な存在である。市議会議員の選挙といえども、選挙人のすべてが、候補者の党派、職業、識見を周知しているとか、充分にわかるとか、地盤が固つているとかいうことはない。また候補者の行う選挙運動は必ずしも徹底するものでもない。

大阪府下の各市における党派所属の候補者数と無所属の候補者数との割合の如何は、他市の選挙の問題で、本件選挙の効力とは関係がなく、むしろ、少数でも党派所属の候補者があることは、党派所属が意味のあることを示すもので、党派所属と無所属とが全く同価値であることを示すものではない。尚本件において党派の意義が単に「稀薄」なだけでは選挙を有効となし得ず、それが「絶無」であることを必要とするものである。

(ニ)  選挙の視定違反が、選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合とは、もし選挙の規定違反がなかつたならば、現実に生じている結果と違つた結果を生じていたかも知れないという蓋然性の意味であつて、確実性のあることは必要としないと解されている。この規定違反と結果異動の虞れとの関係についての判例を検討すると、判例がいかに厳しい態度を採つているかを理解することができ、被告の裁決は、これらの判例の趣旨から当然導かれる結論であり、この裁決以外の結論は有り得ないことが明らかである。判例(1)最高昭和二四年七月一三日(宮崎県児湯郡選挙区の県議選挙事件)、(2)最高昭和二九年九月二四日(佐野市事件)、(3)最高昭和三三年五月九日(福島県勿来市議会議員選挙事件)、(4)最高昭和三三年九月一九日(福岡県京都郡勝山町議会議員選挙事件)。これら判例と比較して、もし有権者数と当落差との関係を、結果異動の虞れの判断の一要素として考慮するものとすれば、本件は他の判例と比ぶべくもない最少、極徴の数であるから、結果異動の虞れは、それに反比例して一番高いものといわねばならない。また原審等が挙げる右(2)の佐野市事件の判例は決して異例のものではなく、前記(1)の大法廷判決以来の一貫した考え方に立つもので、その後の判例においても踏襲されている見解に基くものである。

原告等の論法は、結局、一つの傾向を以て全般を押し、遂には全般がそうであると主張するものである。本件は一つの傾向の問題ではなく、そのうちの何百分の一にも等しい三名ないし一〇名という少数について論ずればよく、たとえそれらが原告等の説く例外中の例外であるとしてもそれが現実には三票という徴差の当落に影響するのである。原告等はいかにしてもかかる少数の例外を抹殺し去ることはできないから、そのことはとりもなおさず、選挙の結果に異動を及ぼすおそれのあることを意味するものである。

(ホ)  候補者が選挙公報に自己の立候補届出の党派を掲載したかどうかは、氏名掲示の党派誤記の違法性及びその影響とは関係のないことである。のみならず、候補者が選挙公報に自己の党派を掲載した場合は、誤記の影響は完全に払拭し得ないにしても、多少なりとも減殺することができるに反し、公報に党派を掲載しない場合には、このような減殺作用がないため、氏名掲示の誤記の影響は完全に発生することになる。

公報と掲示の効果はそれぞれ別個であつて、両者は互に独立した選挙運動方法であり、公報が運動方法のうち比較的重要な価値のあるものであることは否定し得ないけれども、これは決して唯一の方法ではなく、選挙人もまたこれを唯一の判断資料とするものではない。選挙人は公営及び候補者の行う各種の選挙運動方法のうちの一つまたは幾つかの総合により意思決定をするもので、その関係は極めて徴妙であり、どれが役に立ち、どれが役に立たぬということを、選挙人のすべてについて言い切れるものでない。しかも決して選挙人の全部が公報を見ているものではなく、これが唯一の資料というのは全くの牽強附会の論である。

辻垣内吉男は公報に所属党派を記載していないものであつて、決して無所属と書いているものではない。これは無所属を標榜したいということにはならない。両者には重大な差異があり、同人が無所属と記載すれば、公職選挙法第二三五条第一号の虚偽事項公表罪に該当するであろう。候補者の意思による選挙運動はその創意、工夫により好都合に行い得るが、氏名掲示は、候補者の意思とは関係なく、選管が選挙の執行機関たる公の立場から、選挙の公正確保の一助として行なうものであるから、これは正確に行われることが絶対の要件である。たとえ候補者が公報に党派を誤つて記載しても、氏名掲示は正確であるべきで、それが偶々公報の記載と同一であつても許容されるものではない。選挙無効の制度は特定候補者の利益を擁護するためのものではなく、選挙の自由と公正を確保するためのものであるから、掲示の誤記は、それ自体が選挙の自由公正を害するので、候補者の選挙運動とは関係なく選挙は無効とされなければならない。

辻垣内の訴願、申立は適法である。選挙の効力を争う者においては、自己の権利、利益を害されているか否かは関係がなく、選挙人、候補者のすべてがこのことを争い得るものである。のみならず、辻垣内は公報に無所属の掲載を行つたものでもないから、同人が選挙無効の申立をするについては何等の欠くるところがない。原告等は辻垣内を攻撃して、本件訴訟の本筋を見誤らせようと企んでいるものである。

(ヘ)  氏名掲示制度が廃止された理由は、それが無意味無用であつたことによるものではないことを前述の通りであるから、右制度の廃止及びその機運を以て本件選挙の無効原因が消滅したとする原告等の主張はすべて当らない。また再選挙は全く別個の選挙であり、そこにおいて氏名掲示が行われるか否かということと、本件選挙が無効であるということとは全く関係のないことである。

(ト)  候補者辻垣内は本件の当事者ではないから、その死亡は本件訴訟手続には何等の影響も与えることはない。また、本件訴訟は違法な選挙執行の是正を求めるためのものであつて、辻垣内個人の利益を確保するためのものではないから、同人の死亡により訴訟利益が消滅するものでないことも当然である。選挙訴訟における選挙の結果というのは、選挙会の決定当時の状態によるもので、その後の新たな事情は考慮に加えられるべきではない。それについては元来当落の差数も考慮すべきでなく、事案により考慮され得るとしても、それは当初の選挙会の決定したそれによるべきである。まして当落とその差数に関して選挙後の新たな事情、例えば次点の死亡とが当選者の死亡による次点者の繰上補充とかが関係することはない。この点については判例も同旨である。また選挙が無効とされた場合には、各候補者が再び立候補するか否かは自由であり各候補者が立候補できるか否かも関係のないことであり、再選挙において何人が当選するかは、無効とされた選挙の当選人と全く関係のない事柄である。従つて辻垣内の立候補や当選の可能性は、本件選挙を無効とするか否かとは全く無関係である。

以上のほか、本件選挙が無効である理由については、被告の為した裁決中に示した通りであり、右裁決は正当で、これを違法とする原告等の請求はすべて理由がないから、棄却せらるべきである。立証(省略)

理由

一、原告主張の一ないし五の事実、即ち茨木市議会議員一般選挙の施行、当選、訴外辻垣内吉男の立候補と落選、同訴外人よりの異議申立、その却下、被告に対する訴願、その裁決がなされたこと、その主文と理由、及び同訴外人の死亡の事実、並びに右裁決理由中の事実認定通りの事実(右主張の五の(イ))が存在したこと、即ち、右選挙において市選管が昭和三七年三月一日午後一時頃からなした公職選挙法第一七三条、第一七四条に基く候補者の氏名、党派別の掲示(七四ケ所)のうち、同訴外人の党派を「自由民主党」と記載すべきを「無所属」と誤記し投票日の前日たる同年三月三日正午頃に至つて紙片貼布、次いで新掲示用紙の掲示により、右誤記が訂正せられたことは当事者間に争がない。

二  原告等は右裁決には判断を誤つた違法があると主張するので、原告等の指摘する違法の有無につき検討を試みる。

(イ)  先ず原告等の主張する掲示誤記の瑕疵は補正治癒せられたとする点について按ずるに、右の氏名等の掲示は公職選挙法第一七四条において一定の期間中これを為すべきものと定められ、その目的はその掲示期間中を通じてこれが選挙人の目に触れる機会を設け、以つて候補者の氏名等を選挙人に周知せしめようとするに在ることは同法第一七三条の規定に徴して疑を容れないから、原告等主張のように投票当日における掲示の効果のみが期待せられるものでは決してなく、従つて、投票当日の掲示が正確でありさえすれば事足るものではない。また右掲示が候補者の選択決定に全く役立たないものであることも、不在役票者に対しては右掲示の有無が全く影響のないことも、原告等の主張のみでは到底これを首肯することができず、右主張に副う立証もないから、原告等主張の単なる投票日前日正午頃になされた誤記訂正の事実のみでは、すでに生起、経過した誤つた内容の掲示行為自体による瑕疵を遡及的に消滅せしめたものとはいえない。そうすると右選挙の手続においては、同法第一七三条第一七四条の違反事実が存したことはこれを肯定するの外なく、この点に関する原告等の主張は理由がない。

(ロ)  次に原告等は、右選挙手続違反があつたとしても、これが直ちに同法第二〇五条にいわゆる選挙の結果に異動を及ぼす虞のある場合に該当しないと主張するので、この点につき検討する。

ところで、右法条にいわゆる選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合とは、当該法規違反がなかつたならば、選挙の結果、即ち候補者の当落につき、現実に生じたところと異つた結果の生ずる可能性のある場合を指すものであることは明白であるが、右の可能性の存否を検討するについては、単に観念的抽象的に考うべきではなく、具体的な考察、却ち違反については当該違反の態様、程度、その結果については右違反と相当因果関係にある範囲内の具体的事実の態様、程度を推定、考慮して事を決すべきものと考えられるところ、この点については、本件では差当り訴外辻垣内吉男候補者の落選が問題とされているのであるから、若し本件氏名等掲示に同候補者の党派名の誤記が存しなかつたならば、同人の得票が増え同人が当選した可能性が現実にあつたかどうかという観点から判定すれば足りうるのであつて、他の候補者に対する影響は、右可能性が肯定せられる場合に、その結果として反射的に生ずる事柄に過ぎない。

そこで先ず、訴外辻垣内候補者の党派名を「自由民主党」と記載して掲示すべきを「無所属」と記載して掲示したことが、同候補者の得票に不利益の結果をもたらしたかどうかについて考えて見るに、(1)この点に関しては先ず原告等の主張する本件選挙の特性の一つ、即ちそれが地方公共団体特に市議会議員の選挙であることが、国会議員選挙との対比上相当の差異を生ずるか否かが当然考慮に加えられるべきである。

(証拠―省略)を綜合すると、国会議員選挙に比して、いわゆる地方公職選挙特に市町村における首長及び市町村議会議員の選挙においては、いわゆる政党化はいまだよく浸透せず、むしろ選挙民には候補者が一党一派に偏するのを好まない傾向すら存在することその他の客観的ないし主観的な理由から、候補者は自己が党派に所属して立候補すること、又は所属党派を明らかにして立候補かることを必ずしも選挙対策上有利と考えず、むしろ反対に、党派に属せず、又は党派を明らかにせずしていわゆる無所属の外形において立候補する方が有利と考える者も多く、現に本件選挙及び最近(昭和三八年四月三〇日)施行の大阪府下の八尾市その他衛星都市一五市の市会議員選挙においても、一般に無所属立候補者が党派を明らかにする立候補者よりも比較的多数であり、特に自由民主党を標榜する立候補者の数は予想外に少数で無所属立候補者の数に比して甚だしい懸隔があり、同党に属する候補者の中にも殊更に無所属として立つ者も相当数見られる事実、及び選挙の結果もまた右立候補者の予想を裏切るようなことは格別に認められないという事実が肯定せられ、右認定を覆するに足る証拠がない。そうすると、自由民主党所属の掲示が無所属の掲示と誤られたことは、これを見てその通りに信じたかも知れない選挙人に及ぼした結果としては、投票獲得のみの見地からは、当該候補者辻垣内に対して不利益に作用したものとは必ずしも無条件に推定し難く、特段の事情がなければ、むしろ反対に利益を及ぼしたとも考えられぬことはなく、要するに、本件誤記によつては、落選を来す原因となる投票数の減少があつたことは直ちに推測できず、相当因果関係は軽々には成立しないといわねばならない。このことは、辻垣内自身が、その選挙公報において、殊更に自己の党派を明記せず、単に「証券社長」として自己の特性ないし肩書とし(この事実は被告においても敢えて争わないところである)、また同人が選挙に使用したポスターには自由民主党公認であることの記載はあるけれども、それよりむしろ「かぶや」(株屋)であることを遙かに大きく明瞭に記載してその存在と独自性を強調していることが成立に争のない甲第一三号証により窺われることから、同人は主観的にも党派表明の効果を大して期待していなかつたことが推測できるからむしろ前認定事実は一層裏付けられるものというべきである。被告は、地方選挙においても自由民主党の支持票は多数存在するから影響がない筈はないと主張するけれども、同党の支持票は、立候補者の前述の傾向を知る選挙人によつては、当然これに対応して形を変えて現われることは推察に難くなく、現に、同党を表明した立候補者が、通常、無所属立候補者よりも少いという前述の事実は、同党派の支持票がそれに大体比例する結果を予期していることの証左であり、少数者が却つて貴重であるといつても、特に有利なことにはなつていないことも明らかであるから、被告の右主張は何等肯認せられない。辻垣内より誤記の訂正方を申出でた事実も、自由民主党の明記が、無所属の表示よりも特に客観的に有利であることの証拠にはならない。即ち、同人がこれを選挙対策上の一有力効果と考えたとしても、それはたかだか主観的評価を示すに過ぎず、それが第三者より見て他の者より有利な手段であるということは、前認定の一般的傾向より見てたやすく肯定できない。また被告は辻垣内の選挙公報は単に党派の不記載であつて、無所属ということにはならないと主張するけれども、その文字の正確な意味とは別に、党派不記載は一般に無所属と同視せられる傾があることは成立に争のない甲第五、六、七号証によつても明らかであり、選挙公報との外見的相違は否定せらるべくもない。しかも右の相違の外形そのものからも、格別の不利益が生じたこともたやすく是認できない。即ち自由民主党所属者が往々無所属として立候補する事例があり、両者は必ずしも相排斥しないという前認定事実に徴すると、外見的な差異(選挙公報における党派名不記載は、差異の認識可能性自体を一層減少させることは争い得ない)は、必ずしも実質的には相容れない矛盾ではなく、これが選挙人に対して絶対的な矛盾と受取られて自己への投票を失うことの推定も当然には成り立たないし(これが消極的要素としては、本件の誤記が投票前日中には訂正せられていた前掲事実が相当有力に働くものと考えられる)、また、右の外見的矛盾があるために誤記の影響が減殺されずにそのまま効果を及ぼすといつても、右の誤記自体とその選挙公報との矛盾の影響そのものが格別不利益でなければ、その効果の大小が不利益を増大する原因になる訳がないから、右被告の主張によつては、直ちに本件誤記が辻垣内に不利に作用したとの推定が無条件には成り立たないとの結論を左右するに足りない。

(2)以上の事情に加えて、原告等の主張する氏名等の掲示制度そのものの効果の無力化の有無、及びそれが本件違法の効果に与える影響の如何をさらに検討するに、(証拠―省略)によると、本件選挙に用いられた氏名等の掲示制度は、昭和二〇年(終戦直後)に当時の資材不足の事情と経費節減等を目的として採用されたものであるが、最近の物資の状況から、右制度の当初の必要は他の選挙運動手段の増加、発展と反比例的に減少すると共に、それ自体の方法が画一的で無味乾燥の感を免れないところから、その掲示の存在自体は通行者には通常気付かれ得るとしても、その内容の判読、了知について選挙人に与える効果が果して当初の期待に副い得る程度に認められるかが相当疑われる状況にあつて、このことは昭和三六年一二月二六日に為された選挙制度審議会においても肯定され、選挙人の判断資料としての効果も、世論調査の上では、他の諸運動手段(選挙公報、ラジオ、新聞紙、演説等)に比して可なり劣るものであることが判明しており、乙第四ないし九号証によつても右制度の相対的価値の低位的評価についての右認定を覆すに足りない。しかし、このことは、氏名等の掲示制度が全く無力化して、その実際上の効果が全然認められない、ということの資料にも確証になるものではないけれども(このことは成立に争のない乙第四号証の一ないし四によつても認められる)、選挙人に与える影響としては、仮りにその一部に誤記があつても、それが敏感に反映し、他の選挙運動手段と同等ないし優越して選挙の結果を左右するものとは到底認められず、結果において、他の運動手段における過誤よりも余程少く影響することが肯定できるから、この事実は、本件違反より一般的抽象的に考えられる選挙結果に対する影響の可能性を全く否定することはできなくても、相当程度稀薄化する要素の存在として肯認することはできるのである。

(3)、前記(1)において認定せられた地方議会議員選挙と国会議員選挙との差異として、無所属立候補者が党派別立候補者よりも比較的多数であるとの事実の基盤として、原告等は、地方選挙においては候補者の所属党派が重要視されない傾向があり、選挙人の候補者選択の基準として働くことが甚だ少いところから、本件掲示の党派別の誤記の影響は殆ど考えられず、その価値判断は、他の事例殊に原告等の挙示する最高裁判例の事例に比し著しく異るべきである旨を主張するしで、この点を検討するに、(証拠―省略)を綜合すると、一般の傾向として、選挙において選挙人が投票すべき候補者選定の基準として、候補者の人物と所属党派のいずれを重視するかの点は、国会議員選挙、地方公共団体首長選挙、地方議員選挙の順に従つて党派よりも人物の方を重視する傾が強くなり、地方選挙においては党派よりもむしろ人物(他の要素を考慮しない訳ではないが)を重視する傾向の方が多いこと、その原因は多元的ではあるが、地方議会議員選挙、就中小都市、農村等の議会議員選挙においては、立候補者を地域代表と見、かつその見解で推薦、応援し、候補者もこれを考慮して地域票に依存する傾向があること、一党一派の代表として限定しては考えず、党派的政見よりも地方的政治問題に関心を寄せる傾があること、縁故や親近感により、個人的人物的評価を比較的容易に為し得る環境に在ること等の理由によること、その結果候補者特に保守的候補者は党派別よりも無所属としての立候補を選ぶ傾が強いことの諸事実が認められ、証人(省略)の各証言を綜合すると、本件選挙において投票を行つた茨木市居住一般有権者全員より、当裁判所が任意に選択採用した選挙人(右証人に該当)一八名中一三名は候補者選定基準として大体人物を重視し、二名は党派を重視し、他の三名は他の基準に拠つたことが認められ、右の傾向を承認し得る賞料となるのみならず、その他の選挙人一九名のうち一八名が人物を重視し、残り一名が党派を重視して投票したことが、証人(省略)の右証言を綜合することにより認め得られるから、これまた右認定の補強資料たり得るものである。しかしながら、右に挙げた各証言に依つても、本件選挙においても党派を重視した選挙人がたとえ僅少でも現存したことが明白であるから、前認定の傾向の存在も、党派別についての誤記の影響を全く否定する理由とは為すに足らず、他の場合、殊に国会議員選挙における場合に比較して、その影響が比較的些少であることの判定要素として役立つに過ぎない。

原告等の主張は、右の限度においてのみ採用することができる

(ハ)  次に原告等のその余の主張について判断を加える。本件選挙において候補者辻垣内が自ら党派を否定していることは、原告等の主張事実のみによつては肯認できないから、この理由を以て、本件の誤記による違反が選挙の自由と公正を害しないとする原告等の主張は採用できない。よつて右理由によつて同人の本件の基本申立の適格性を争う原告等の主張は理由がない。

(ニ)  氏名掲示制度が地方議会議員の選挙について後に廃止され、本件裁決当時及び現在においてももはや存在しないことは被告の明らかに争わないところであるが、本件選挙当時においてすでに法的に無価値で、拘束力がなかつたとする原告等の主張は、これを肯定するに足る根拠がないから、たやすく採用できず、選挙はその当時に効力を有する法令に従つて行わるべきであることは理の当然で、その選挙の効力の事後判断についても、一応行為時の法令、基準によるべきことも自明の理であるから、本件の違法が当時より選挙無効事由たるの価値がなかつたこと、及び法の廃止により無効事由としての価値を失つたことを理由とする原告等の主張は採用できない。

(ホ) 最後に、本件選挙の効力についての異議、訴願の申立人となつた辻垣内の死亡が、原裁決の取消原因になるとする原告等の主張につき判断する。固より辻垣内は原裁決を求める原因となつた異議、訴願の申立人ではあつても、選挙訴訟の構造上、本訴の当事者とはならず、この意味において同人の死亡が本訴の当事者の訴訟追行権に直接影響を及ぼすことは考られず、また、選挙訴訟は、選挙そのものの自由、公正が害せられたことがその効力を否定するための原因であるべきであつて、単に特定人、或いは不服申立人のみの利益が害せられたことが、直接の理由として採り上げられる建前のものでもないことは、多言を用いるまでもなく明白である。しかしながら、右にいう選挙の自由と公正の阻害が、具体的には特定人の利益にのみ影響し、その他の者の利益に関係を持たない場合には、その者の利益が一般人の利益と比肩せられ、その者の利益擁護が一般の利益ないし自由公正の確保護持としても必要欠くべからざるものと認められる場合は別論として、それがかような域に達せず、個人的利益の線を多く出でない場合の如きは、一般の自由公正の保持の名の下においても、当該個人の利益を考慮の中心に置いて差支ないものと考えられる。ところで本件においては、選挙手続の違反は殆ど専ら辻垣内の落選という具体的結果となつて現われ、その他の者に対する影響として指摘されるものも具体性を欠き、辻垣内の落選の反射作用として抽象的に考えられるもののみであつて、結局本件違反は辻垣内以外の候補者特に当選者たる原告等には具体的関係を持たないと考えて差支がない。これが本件における選挙結果への影響の特異性の一つであつて、このことにより、右辻垣内の落選という不利益の結果を今更是正、救済する必要性がもし仮りに消失するならば、本件選挙を無効とする実質的な理由ないし必要性も亦消滅するものと考えることができる。そして仮りに本件訴訟の構造が、異議又は訴願の申立人が原告となつて提起するものであるならば、右のような場合は、訴の利益の存否の問題として当然に考慮に加えられるであろうが、訴訟構造が原裁決機関を相手方としてその裁決を攻撃する形を採つている場合でも、原裁決の立場に立帰り、申立を認容する裁決についてはこれを為す利益と必要性判断がなされており、その当否を本訴で再審査するに外ならないのであるから、本訴においても同一の事情が原裁決の維持又は取消の利益ないし必要性として、同様に考慮に加えらるべきものと考える。尤もこの点については、行政訴訟の判断基準を考慮に入れねばならないところ、選挙の効力自体については、選挙時を時点としてその時の法令と事実関係とその訴訟資料に拠るべきものであることは疑を容れないが、右の効力を確定する訴訟の推持、追行、及び判断(裁判)をするについての利益ないし必要性の点については、選挙時以後の事情も考慮に加うべきものと考えるから、この理由によつて、本件原裁決時おいても、裁決の利益は、その時を基準とし、また右裁決の当否を判断する本訴の基準時も、裁判をなすについての利益、必要性の点については裁判時を採るべきである。そうすると本件口頭弁論終結以前に生じた辻垣内の死亡事実は、結局本訴の利益判断の資料として考慮に加えられるべきであつて、同人の死亡は原裁決の容れたような本件選挙を無効とする実質的利益の殆ど全部を喪失せしめたものとして、原裁決取消事由の一に数えることが是認されなければならない。

三  以上の理由を要約すると、本件選挙においては氏名等の掲示の誤記という手続上の違法が存在したことが認められるが、その違法か、右誤記の被害者的立場即ち大なる利害関係人となつた訴外辻垣内吉男に対して当然にその不利益として作用したことを推定するに足りない各種の具体的事情があり、同人の落選は三票の少差ではあるが、それが右違法と相当因果関係に立つとはにわかに肯定し難く、結局、右の誤記があつただけでは、同人の落選という結果に異動を及ぼすおそれを生じたとは認め難いものであつて、原裁決はこの点の判断を誤つた違法があり、なお本件においては、同人以外の候補者の当落の点は全く問題にされていないし、また成立に争のない乙第一、二号証によつて明らかな本件選挙の結果から見ても、瑕疵の有無に拘らず右の点は問題とならないものと認められるので、右辻垣内が死亡したことは、本件選挙の効力を否定する利益の殆ど全部を失わせるに至つたものと謂い得るのであつて、この点からしても裁決を維持することは困難であるといわねばならない。

よつて本件選挙を無効とした原裁決を取消すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

大阪高等裁判所第六民事郡

裁判長判事 岡 垣 久 晃

判事 宮 川 種一郎

判事大野千里は転補につき、署名捺印することができない。

裁判長判事 岡 垣 久 晃

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